ここは神奈川県立茅ヶ崎里山公園。
2001年秋にオープンしたそうですが・・・
訪れるのは生まれて初めて (^_^;)
なーまんのふるさとは茅ヶ崎市の南の端!
そしてここは茅ヶ崎市の北の端。
砂浜と松林の中で育った者にとってここは異郷の地!
未踏の地、そして秘境の地でした (・_・)
この辺りは深い谷戸の入り口。
コスモス畑は元は田んぼだった?
丘の先には慶應大学湘南藤沢キャンパスがあります!
もう秘境とは言えませんね (^.^)v
ここは里山公園の北の端。
全部巡ると結構時間がかかるので本日はここまで!
茅ヶ崎市堤にやって来ました。
ここは小学生の時遠足で来ました (^.^)v
浄土宗浄見寺はあの名奉行の菩提寺!
お若い方はご存知ないかもしれませんが・・・
北町奉行、遠山左衛門尉様、御出座ぁ~!
ではなく (^^;;
どっちが名奉行?
その辺りは別の機会にいたします m(_ _)m
石塀に囲まれた左奥のお墓が五代目当主、大岡越前守忠相 (ただすけ) の墓。
実は忠相以降歴代当主は皆、大岡越前守を名乗りました (^.^)
大岡家の先祖は藤原氏だそうです。
紫式部の父親藤原為時は越前国守として越前に赴任しましたが、歴代の大岡越前は一人も越前に赴任していません (・_・)エッ
「光る君へ」を観ていると、道長の様に黒い束帯を着ている貴族が一番偉く、その下が赤、さらに下が緑の束帯という事が分かります。
官位で言うと、一位から三位が黒で公卿、四位から五位が赤で大夫、六位以下が緑で士!
古代周王朝には天子の下に卿(けい)大夫(たいふ)士・庶人という階層がありましたが、その伝統は唐にも引き継がれ、平安時代の身分制度はそれを手本にした様です。
https://tbqr.sanseido-publ.co.jp/05-seisenkoten/contents/40_2.pdf
紫式部の父親は花山天皇の時六位式部丞でしたが、道長が権力を握ると従五位下大夫に出世!
赤い束帯姿で越前に赴任しましたね d(^_^o)
ところが、武士の世になると官位は律令制とは無関係なものに変貌!
江戸時代、大名や旗本は大夫の扱いを受け、家の慣例や“好み”を申請、将軍や朝廷に金品を納めれば、原則希望する官職を名乗れる様になったのです!
大岡家が福井藩主と同じ越前守を名乗れたのはその為!
年貢は村役人 (名主) が徴収して江戸の領主に納めます。
旗本に参勤交代はありませんからずっと江戸住まい!
大岡忠相は72歳の時三河国に4,080石の領地を加増されて1万2千石の大名になり、岡崎城の近くに陣屋を構えますが、定府大名として家臣団と共に江戸藩邸に住み続けた様です。
歴代の大岡越前守は越前や三河には赴いていませんが、浄見寺は先祖代々の菩提寺ですから (^.^)v
お墓参りのお土産は湘南富士美の奉行最中!
そんなわけはございませんね ^o^