ウソか?ホントか?やっぱり嘘か?
この人は架空の人物に違いない!
違う!やっぱり実在の人物では?
今回はそんなお話です m(_ _)m
講釈師 見て来たような 嘘を言う
講釈師とは今の講談師の事 ^ ^
そのルーツは戦国時代の御伽衆の様です!
さて・・・久しぶりに小田原から!
今宵はこちらのつづきですが・・・
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
まずは小田原新城下町で腹ごしらえ (^。^)
創作煉處(そうさくねりどころ) 籠淸(かごせい)
揚げたての珍味揚を頂きます(^.^)v
小田原といえばカマボコと二宮金次郎?
確かにそうかもしれませんが・・・
それだけではありません ^ ^
na-mannoeyelevel.hatenablog.com
6月16日までライトアップが実施されますが、平日なのでキッチンカーも早々に店仕舞い。
あじさいの見頃はもう少し先?
十人十色と言いますが・・・
あじさいも十花十色?
花の命は短くて・・・
「両手に花」は難しい (^_^;)
ブログも花も「総花的」は難しい?
1560年「里見八犬伝」で有名な里見氏の救援要請を受け、長尾景虎は八千の軍勢を率いて三国峠を越山!
時の関白近衛前久、関東管領上杉憲政を奉じる長尾軍は、10万余りの大軍勢に膨れ上がり、小田原城を包囲。
戦国時代の本丸は天守の奥の丘の上。
http://yaminabe36.tuzigiri.com/odawaraHP/odawara.htm
上杉家文書によると城下に火を放って挑発しますが北条軍は動かず、武田の援軍も富士吉田に着陣!
佐竹、宇都宮等諸将から不満が出始め・・・勝手に陣を引き払う者も(◞‿◟)
翔んで埼玉の麻実麗ではありません (^.^)
北条から見たら完全に頭イカれてる?
でも謙信といえば白頭巾(行人包み)では?
景虎軍は結局鎌倉に移動、関東管領就任式を執り行い上杉政虎へ改名!
そのまま越後に戻り、あの川中島八幡原の戦いに臨むわけですが、ここでもロン毛のまま (・_・)
なぜ?
武田信玄の重臣香坂弾正の作とされる「甲陽軍鑑」に登場する政虎の出立ちは白頭巾姿ですが、法号「不識庵謙信」を称するのは1570年のこと!
つまり、川中島合戦の9年後(・_・)エッ
実際に「甲陽軍鑑」を著したのは江戸初期の軍学者小幡景憲で、実体験を書いたものではない様です(^^;;
城門の前で酒を三杯あおったお話の元ネタはこちらか?
館林藩士・岡谷繁実が幕末に著した『名将言行録』には城門の前で弁当を食べ、お茶を三杯飲んだとあります!
お茶をお酒に変えたのはHHK ?
上杉謙信のイメージはこのドラマの影響が大!
川の中での激しい一騎討ちでしたが劇場はガラガラ!
ガラガラの理由は他にもあるでしょうが・・・
文学と歴史の境目は実に曖昧!
その境目を明確にする努力が歴史学の目的か?
事実としての歴史と願望としての歴史は違う。
牽強付会とまでは申しませんが (^^;;
かつて山本勘助は架空の人物とされ「天と地と」には登場しませんが、その後新史料が発見され2007年の大河ドラマ「風林火山」の主人公に!
2013年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公は会津藩砲術師範山本家の娘で、先祖は山本勘助と称していました!
山本勘助の子孫を自認する皆さん!
良かったですね(^_^)
でも各々方・・・御油断めさるな・・・まだ確定では・・・